Facebookやtwitterを使うことが増えてくるとでてくる疑問がひとつあります。
「なぜブログを書くのか?」
自分自身のログとして残しておくため、あるいはtwitterやFacebookとは違い、まとまった考えをアウトプットとしてウェブ空間上に残していくため。
人によって様々な理由がそこにはありますが、自分の中でもその理由はやや曖昧なものになっているのを感じました。
そのモヤモヤした想いを晴れやかにし、ブログを書くことにどのような意味があるのかひとつの理由を明確に言語化しているのがこちらの書籍。斉藤孝氏による「人を動かす文章術」です。
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いくつかこの新書から引用をしてみたいと思います。
「書く生活」と「書かない生活」とでは、暮らし方、ものの見方に差が出てくるのです。
「エッセイ力」の向上と認識力・発見力の向上は、連動している。書く生活を始めると、これが実感できます。
学生たちは普段、友達とおしゃべりをしています。でも、おしゃべりと書くことは、決定的に違います。おしゃべりには特に必要とされない「認識力」という特殊な力が、「書く」という作業には不可欠なものなのです。
twitterやFaceBookでも、togetterでまとめられるような、「書く」という行為を行うことは可能です。ただ一般的には、おしゃべりに近いやりとりをしていることが多いといっていいでしょう。
ブログを書くという行為を生活の一部にすることで、好奇心を高めたり、興味を持ったものについてさらに掘り下げてみようという意欲の増加に繋がるわけです。
しかし「書く」という作業を前提として学ぶと、インプットの仕方や気構えは驚くほど変化します。
その知識、ネタが外にあるもの、他人のものであっても、いったん自分で文章にまとめることで、自分で活用できるネタにしてしまうことができるのです。さらにそこに、あなた自身の知識や経験を絡めていくと、他人の論だったものが換骨奪胎されて、自分自身のオリジナルなネタになってしまうのです。
これはブログはもちろん、ニュースサイトなどにイベントのレポート記事を寄稿したり、書籍を翻訳していくなかで実感していることです。
書くことで本当の理解に繋がり、思考が整理されて自分の中で定着します。アウトプットをしてみて、初めて自分が何をアウトプットできるのかを再確認できますし、その仮定の中で初めて認識することも多くあります。
これはtwitterやFacebookなどの短い文章を書く中だけでは起こりにくいことですね。twitterでは要約をする能力は高くなりますが、ひとつの視点を展開したり、思考を整理しながら掘り下げていくのには向いていない気がします。
飲み会で人と話し合いながら出てくるアイディアもあれば、一人になって自分の時間と空間を確保しその中で煮詰めていって出来上がるものもある、と例えれば良いでしょうか。
書く行為の重要性を再認識できるのはもちろん、改めて書くことの楽しみを発見することができるオススメの一冊です。
読んだ後には、文章を書きたくてたまらなくなっているはずですよ。
「金閣寺」より「バトル・ロワイアル」:誰も教えてくれない人を動かす文章術
ReplyDelete誰も教えてくれない人を動かす文章術 (講談社現代新書)作者: 齋藤 孝出版社/メーカー: 講談社発売日: 2010/12/17メディア: 新書 素人...