Friday, July 13, 2012

「mixiは死ぬ」で謝罪しているとブログは死ぬ

ソーシャルメディアマーケティング会社の社員が個人ブログの記事で、釣り気味のタイトルで「LINEのソーシャルネットワーク化の先にあるもの? SNS難民は救われ、mixiは死ぬ」と書いたことが、ちょっとした騒動になり、それをプレスリリースで謝罪したことによりさらに拡散されプチ祭り状態という事象が起こっています。

社員の「mixiは死ぬ」ブログに謝罪 SNSマーケティングのトライバルメディア


経緯については上記のITmediaに書かれている通りなのですが、果たしてこの件について謝罪する必要があったのでしょうか?

Facebook上のTLでも各所で議論が行われていますが、
- 海外の記事でも"サービス名 will die"といった表現は一般的だし、何が問題になるのかわからない( How Facebook will die? なんていう記事も実際にありますね )
- プレスリリースで謝ると、余計に拡散するだけでは?
- 謝るなら最初から書くな。書いたら謝るな。
- 個人のブログの記事での表現に対して、勤務先の社長が謝罪をするのに違和感がある
といった意見が出ていました。

僕もこのことがどうして問題になるのかはわからないんですよね。

話題になるうちが花で全く言及されなくなったときがサービスとしての本当の死です。

むしろ表現の善悪とは別に、記事中の

mixiに残された僅かな光
mixiに唯一存亡の可能性があるとするなら、それはコミュニティ機能だ。

えっ?そこまで言い切っちゃう?
という記述のほうが気になりました。

ブログを書かれた方はソーシャルマーケティング会社に勤務されているということなので、
最後に、「mixiはこのままいくと死ぬけど、俺なら助けられる」とでも書いておけばいい宣伝になったのではないかと。

まっ謝罪しておけばこれ以上非を正されることはないでしょうし、話題にはなるし、ということで結果OKなのでしょうが、こうした表現の自粛が行き過ぎてしまうと、メディアとしての「ブログが死ぬ」ということに行き着いてしまうかと思います。

仮に記事のタイトルが「mixiが死ぬまでに提案したいたった一つのこと」だったとしたら、もう少し周りの反応が柔らかなものだった気もしないでもありませんが、いずれにせよ謝罪の範疇に入ることではないかな、と。

それにしてもtwitterのTLやFacebookの議論をみて、みなさんやっぱりmixiが好きなんだなということを実感しました。

最後に、この言葉で締めくくりたいと思います。

「mixiは滅びんよ、何度でも甦るさ」

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