Thursday, February 21, 2013

早すぎるけどソニーのPS4発表を掻き消すようなこのタイミング、最後まで飯野賢治さんらしかったのかな

ゲームクリエイターの飯野賢治さんが亡くなったそうです。

ゲームクリエーター飯野賢治さん死去 「Dの食卓」作者

ここで本当に個人的な話ですが、飯野さんに関する思い出話を残しておきたいと思います。

飯野賢治さんが特に活躍していたセガサターン時代、私は大学生でした。大学4年のときは、飯野賢治さん、水口哲也さん、高城剛さんという豪華メンバーが集まって恵比寿の会場で深夜までのトークイベントがあって参加したというふうに記憶しています。

実際には深夜までじゃなかったかもしれませんが、とにかく熱いイベントで多くの影響を受けました。

就職するときは、ゲームクリエイターに憧れ、テレビ局などの内定を辞退し、内定を頂いたゲーム会社数社の中からイマジニアという会社を選び就職しました。結局、ゲームボーイ・カラーソフトを2本ディレクションしたあと、当時つとめていた会社がゲームの自主開発はやめバブリッシング事業に注力すると決めたことから1年弱で辞め、その後、どっぷりとゲーム制作を行うことからは離れてしまいましたが・・・

直接的ではないですが、ゲーム雑誌の仕事に携わったり、いまはソーシャルゲーム事業の会社で事業開発をしたりと、少しはその後も人生の節々でゲームに関わる機会を頂いています。

訃報を目にした後、家に戻り、飯野さんから頂いた宝物を取り出してみました。


社会人1年めの5月に東京フォーラムで行われた「Dの食卓2」発表会の招待状です。

当日発表会で、就活のときにかわいがっていただいた水口さんに誘って頂いて発表会の後、楽屋に誘って頂いたのですが、そこで飯野賢治さん、水口さん、中さんという豪華な顔ぶれにお会いしサインを頂きました。

恵比寿のイベントはもちろん、この「Dの食卓2」発表会も衝撃的で、一般のユーザーも含めてゲームの発表会を行うというのはこのイベントが初めてのことだったのではないかと思います。


ワープの作品は、「Dの食卓」を友人の家で、プロジェクターに映しながらプレイするのを観ていたのをよく覚えています。マルチメディア、そしてCGの3Dという言葉が未来を示していた中での90年代を代表するキラキラする作品でした。

エネミー・ゼロは、僕はちょっと・・・でした。音に関するセンスがダメな方なので、音だけでどこに敵がいるのかを判別するというのは、僕にはハードルが高すぎました。

そしてリアルサウンド。

当時、セガに就職した大学の先輩から、「リアルサウンドは風邪をひいたりしたときなんかに、テレビではなくスピーカーに繋いで、寝ころびながらやるといいんだよ」と教えてもらい、そのようにプレイしました。

その後、セガサターンを手放したときにも、その時のプレイの経験はいつも再体験できるようにしておきたかったので、最後にリアルサウンドのプレイを録音し、iTunesに取り込みました。

今もその時のプレイを時々聴いています。


またゲーム以外にも、飯野さんの著作にも多くの刺激を受けました。ロックンローラーな飯野さんの言動を疑似体験できるのがとても楽しかった。


飯野さん、水口さん、高城さん、そんなトリオの3名に頂いたインパクトがあまりにも大きく、今、自分がその時の彼らに頂いたような情熱の1/10でも他の人に与えられない自分への不甲斐なさを感じながら、改めて自分に与えられた時間を少しでも有意義なものとできるよう発奮していかなければと考えさせられました


そんな飯野さんをもう目にするのはとても悲しいですが、PS4発表直後でのこの出来事、最後まで飯野さんらしいな、とちょっと思いました。(でも、もしご存命であればPS4の特性を最大限に生かしたタイトルをおそらく真っ先に考えられたのだろうと思います)

この週末の夜に、寝転がってゆっくりと過去プレイしたリアルサウンドの録音を聴いてみようと思います。

飯野さん、ありがとうございました。

このブロガーをtwitterでフォローする

No comments:

Post a Comment