引っ越しをしたり、海外の古本屋にいって感じるのは、本というのは贅沢品であったり、骨董品みたいなものになってきているかもしれないなということです。
音楽はmp3で、動画もちょっと面倒ですが大分データとして管理できるようになってきました。HDDさえもち歩けば自分が持っているコンテンツをどこへでも持っていけます。
HDDさえも不要でクラウドで、どこからでも自分の音楽、動画データにもアクセスできる環境ができつつあります。
でも本の電子書籍化はまだ始まったばかりで、デファクトとなるフォーマットがまだ普及をしていません。
そんため本は現物を移動させなくてはいけないですが、引っ越しをするとその大変さを思い知らされます。
本そのものを送らなくてはいけないのはもちろん、自宅で保管するには本棚も必要ですし、その分のスペースも確保しなくてはいけません。今、日本から本を赴任先のニューヨークに送っていますが、本は重く量があるため船便にせざるおえませんでした。そのため届くには二ヶ月間かかり、その期間蔵書にアクセスできないというのもやっかいです。
アメリカの古本屋にいくと日本よりもはるかに大判の本が大量に並んでいます。すると、日本で本を買う以上に、本の重さや本がスペースを消費することが気になってきます。
本屋の中に鎮座している大量の本をみていると、本という形態では自分が所持できるであろう本の量に物理的に限界があることを思い知らされるわけです。
それがすごく気分的に重たいんですよね。
本を所持したいのではなく、本の中にあるコンテンツを手軽に入手したい、手軽に楽しみたいと強く思うようになってきました。
一方で、以前のブログに書いたようなジレンマを感じたりもするわけですが…。
Kindle2を使ってみたら紙の本はしばらくなくならないかも?と思った
最近は端末が改善していくことで、ユーザーが新しい読書感覚という体験に少しずつなれていくのかなと感じていたりしています。